名前を考える
最近は男の子に「良夫」と付けることは少ないようだ。
いや、その前に「良夫」という名の人物には出会ったことがないが暑さのせいか?
「良夫」という名前はドラマや漫画の中だけのものか。
勘違いしないで頂きたい。
「良夫」という名の男が増えれば、ドメスティックバイオレンスの問題が減少するのではないか、などと言いたいわけではない。
名前と求められる人物像の関係について考えているのだ。
「すじこん」におけるわたしの名前は「清志」であり、これは本名とは全く関係ないにもかかわらず、清らかでありたい、という気持ちで日々更新している。
偽名でもこのような気持ちが働くのであるから、生まれたときからその名前を持っている人は大変なのではないかと思う。
吸殻のポイ捨てなど、絶対できないだろうし、ちょっとしたウソもつけないような、そんな抑圧が常に働いているのではないか、と心配してしまうのである。
村上春樹「ノルウェーの森」に「緑」という名の女性が出てくる。
「緑」は緑系の服がまったく似合わないのに、お姉ちゃんは桃子かなんかそんな感じの名前で、ピンク系の服が似合うらしい。
これもなかなか困った問題だ。
名前をつける、というのは大変な仕事である。